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東京高等裁判所 昭和60年(ネ)3186号 判決

控訴人 大山泰児

右訴訟代理人弁護士 浅香寛

右訴訟復代理人弁護士 奥平力

被控訴人 山口音作株式会社

右代表者代表取締役 山口貞二

右訴訟代理人弁護士 池田眞規

牧野二郎

主文

一  原判決を取り消す。

被控訴人は、原判決別紙第三物件目録記載の工作物を稼動し、操業してはならない。

二  控訴人の平成元年一月二五日までの損害賠償請求につき

1  被控訴人は、控訴人に対し、金二〇〇万円及びこれに対する平成元年一月二六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  控訴人のその余の請求を棄却する。

三  控訴人の平成元年一月二六日以降の損害の賠償を求める訴えは、これを却下する。

四  訴訟費用は、第一、二審を通じこれを三分し、その二を被控訴人の負担とし、その余を控訴人の負担とする。

五  この判決は、第二項1に限り仮に執行することができる。

事実

一  控訴代理人は、「一 原判決を取り消す。被控訴人は、原判決別紙第三物件目録記載の工作物を稼動し、操業してはならない。二(当審における追加請求として)被控訴人は、控訴人に対し金一一三五万三三三三円及びこれに対する昭和六二年一一月二四日から完済に至るまで年五分の割合による金員、並びに、昭和六二年一一月二四日から前記工作物の稼動、操業を停止するまで一箇月金二〇万円の割合による金員を支払え。三 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求めた。被控訴代理人は、控訴棄却の判決及び当審における追加請求を棄却する旨の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠の関係は、次の二、三を付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

二  控訴代理人は、当審において追加した請求の原因として、被控訴人の不法行為につき従前の請求原因事実をすべて引用した上、控訴人の被るべき損害として、「控訴人は、昭和五六年六月一日から昭和六〇年五月末日までは原判決別紙第一物件目録記載の土地上に存した鉄筋コンクリート造三階建ビルに居住していたものであり、昭和六二年三月一日からは、同土地上に新築した鉄筋コンクリート造陸屋根一〇階建建物の一〇階に居住しているところ、建築基準法に違反した本件工作物の築造、稼動に伴う騒音、粉塵等の発生という被控訴人の不法行為によって、控訴人の居住地における健康で快適な生活を維持し、かつ、静穏な環境の下において幸福を追求する権利(人格権ないし環境権)が著しく侵害されている。肩書住所地での生花業の経営主体は法人となっているが、実体は控訴人と長男悦男が中心となって経営している小規模企業で、法人の損害はそのまま控訴人の損害となる関係にあるから、生花業に関する損害は控訴人の被るべき損害の一部であるが、右は、被控訴人の本件不法行為の態様を示す一事情である。被控訴人の本件不法行為により控訴人の被るべき損害は、前示人格権ないし環境権侵害による精神的損害であり、これを金銭に見積もった場合に、その額は一箇月二〇万円を超えるのであるが、取りあえず内金として、被控訴人が本件工作物を稼動させ始めた昭和五六年六月一日から昭和六〇年五月末日まで、及び昭和六二年三月一日(控訴人が再び肩書住所地に居住した時)から同年一一月二三日までの一箇月二〇万円の割合による損害金一一五三万三三三三円(五六箇月と二三日分)及びこれに対する昭和六二年一一月二四日から完済に至るまでの民法所定年五分の割合による遅延損害金、並びに、昭和六二年一一月二四日から本件工作物の稼動を停止するまで一箇月二〇万円の割合による損害金の支払を求める。」と述べ、

被控訴代理人は、控訴人の追加請求に対し、「本件は、原審以来七年間にわたって審理されてきたが、その間控訴人は故意に損害賠償請求をせず、本件工作物による操業停止のみを求めてきたのに、ここに至って損害賠償請求を追加するのは、時機に遅れたものであるから異議を申し述べる。追加請求の請求原因に対する認否は、従前の請求原因と同一の部分については従前の認否のとおりであり、その余の損害に関する主張事実はすべて争う。」と述べた。

三  《証拠関係省略》

理由

一  被控訴会社が建築基準法で商業地域において建築することを禁止されている原判決別紙第三物件目録記載の工作物を違法に設置し、文京区長の操業禁止命令及び東京都知事の是正措置命令をも無視して違法操業を続け、これにより発する規制基準以上の騒音及び少なからざる粉塵等により控訴人が身体的ないし精神的損害を被っている事実に関する当裁判所の認定は、次の二の説示を付加するほか、原判決書一三丁表二行目から二四丁裏初行まで(一三丁裏九行目「第二九号証」を「第二九号証の一ないし三」に、一四丁裏二行目「第六二号証」を「第六二号証の一ないし五」に、一六丁表八行目「原告住所地」を「原告住所地の土地」に、同丁裏七行目「移転し」から同所八行目「居住していない」までを「移転した」に改め、二四丁表七行目「、そのほかに」から同所九行目「認められず」までを削り、同丁裏初行を「あった。」に改める。)の説示と同一であるから、これを引用する。

二  《証拠省略》によると、被控訴会社が本件工作物の設置、操業による違法行為を始めた昭和五六年六月一日から昭和六〇年五月末まで控訴人が居住していた場所は、原判決別紙第一物件目録記載の土地上に建築された鉄筋コンクリート造三階建ビルの二、三階(同ビル一階は、控訴人の経営する生花業有限会社花和の店舗であった。)で、被控訴会社の本件工作物の設置場所(工場)は、控訴人方の南側に隣接していたのであるが、控訴人は、被控訴会社工場で時折出す八五ホーンを超える騒音、常時といってよいくらい頻繁に出入りするミキサー車、ダンプカーのエンジン音等の騒音、砂利投入に伴う騒音と震動、機械に付着したコンクリート滓をがりがりと掻き落とす音等に悩まされ続け、ひどいときには体にも感じていたこと、被控訴会社工場から発するセメント、砂等の粉塵は、控訴人方に飛来し、駐車中の自動車、窓ガラス、洗濯物、更には室内までも汚し、水で洗い落とそうとしてもなかなか落ちないこと、控訴人は居住家屋建替えのため昭和六〇年六月一時他に転居し、その間元の場所に一〇階建ビルを建築し(控訴人居住部分は控訴人の所有であるが、他は前記有限会社花和が所有する。)、昭和六二年三月から同ビル一〇階西側に居住するようになったが、同ビルは、南面に開口部をほとんど作らなかったので粉塵の室内への侵入は一応防ぎ得られる(そのために、南面開口部を設けなかった。)ことになったものの、騒音による被害は相変わらず続いていること、被控訴会社が本件工作物において使用している原動機の出力は、コンクリートの混練工程で使用されるものに限定しても四五キロワットに及び、そのほかベルトコンベアーに一八・五キロワット、コンプレッサーに一五キロワットの動力が使用され、法定の制限である二・五キロワットを遙かに超えるものであり、しかも、被控訴会社は、行政庁からの是正措置命令、操業停止命令を無視し現在まで約八年間もの長期にわたり公然と違法操業を続け、これを是正し停止する意思は全く見受けられないことが認められる。

《証拠判断省略》

三  そこで、以上の事実に基づいて、控訴人の稼動、操業の差止めを求める請求について判断する。

1  以上認定の事実によれば、被控訴会社は、本件工作物が出力四五キロワットの原動機等法定制限を遙かに上回る出力を持つ原動機を備えるレディミックスコンクリート製造施設であって、建築基準法八八条二項の工作物として確認申請をしても確認を得られないところから、あえて同条一項に該当する工作物を建築する旨の虚偽の申請をして確認を得、東京都公害防止条例に基づく都知事の認可も受けず、しかも工事着工後右事実を知った文京区長からの工事施行停止命令を無視して工事を完成させ、操業し、これに対する同区長の操業停止命令及び東京都知事の是正措置命令をも全く無視し、約八年にも及ぶ間違法操業を続けているものであって、その行為は極めて悪質であり、その違法性は極めて高いものである。しかも、本件工作物の操業によって発生する騒音は、出力の高い機器そのものだけでなく、工場に頻繁に出入するミキサー車、ダンプカー等の騒音、砂利等の投入による騒音をも合わせると決して軽度のものではなく、基準を超える騒音は当然のことながら、たとえ基準以下の騒音であっても聞かされる者にとっては不快音であることに違いはないのであって、控訴人の生活上の利益を違法に侵害し、もって身体的、精神的損害を被らしめていることには変わりがなく、粉塵による被害も控訴人の健康上、生活上決して無視し得る程度のものとはいえないものである。ただ、被控訴人は、防音シートを張り、砂利投入口にゴムシートを張り、小屋掛けをし、セメントのサイロへの圧送を防音室内のコンプレッサーによる方法に改め、集塵機を設置したりしているけれども、騒音、粉塵の発生飛散の防止には余り効果を挙げていないものであって、要は、建築基準法に違反する本件工作物の稼動を止めなければ控訴人に対する違法な侵害は避止できないものといわなければならない。

2  ところで、製造施設の設置及び操業によって近隣住民に対しその生活上の利益を害する場合(生活妨害)において、社会生活上受忍すべきであると考えられる範囲内でその利益を侵害したときは、当該利益侵害には違法性がないとする受忍限度論が唱えられているけれども、右1で見たように、被控訴会社の違法操業の態様が著しく悪質で違法性の程度が極めて高い本件については、右の受忍限度論をもって律することは適切でない。もし被害が極めて軽微であるにもかかわらず、あえて稼動、操業の差止請求をしているのであれば、これを権利濫用として排除すれば足りるものである(なお、権利濫用の成否については、後記4参照)。

3  本件は、被控訴人の工作物の設置及び操業が違法であることは前示のとおりであり、これによって発する騒音、粉塵は、控訴人に対し、心身の健全という人格的利益に無視し難い侵害を加えるものであるから、控訴人の有する右の法律上の利益(権利)は、物権と同様排他性を有する権利として、これに基づいて被控訴会社に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができると解すのが相当である。

4  本件は、これまでの説示によって明らかなとおり、被控訴会社の工作物の設置及び操業に関しての違法性は極めて強く、度重なる行政庁の命令にも従わない実情にかんがみると、控訴人の本件差止め請求は、同人の受ける権利侵害が必ずしも軽微でなく、無視し得る程度のものとは決していえない以上、権利濫用として許されないものではないといわざるを得ない。

控訴人の本件工作物の稼動、操業の差止めを求める請求は理由がある。

四  次に、控訴人の損害賠償請求について判断する。

被控訴人は、控訴人が当審において請求を追加したことに対して異議を述べるが、従前の差止請求と本追加請求とは請求の基礎が同一であり、右請求を追加することによって審理が著しく遅延するものではないから、被控訴人の異議は、採用できない。

そこで、損害賠償請求の当否について検討する。

以上認定の事実関係に徴するとき、控訴人は、被控訴会社の違法な工作物の設置及び操業による騒音、粉塵等のために心身の健全という人格的利益を侵害されていることは明らかであり、《証拠省略》によると、控訴人は、右不法行為により精神的に多大の苦痛を被っていることが認められる(身体そのものについては、抽象的には非健康的な生活を強いられたことになるが、具体的損害(疾病等の健康被害)としては、これを認めるべき証拠はないので、結局、精神的苦痛に吸収される。)ところ、その額は、以上認定の諸般の事情を勘案すると、被控訴会社が操業を始めた昭和五六年六月一日以降控訴人が住家建替えのため転居していた期間を除き、当審口頭弁論終結時までの五年一一箇月の期間を通じて二〇〇万円をもって相当とするものと判断される。

なお、控訴人は生花業の被害を損害の一部に主張するが、弁論の全趣旨によれば、これを物的損害として請求するのではなく慰藉料請求の一事情として主張しているものと解されるところ、生花業に対する具体的な損害の発生についてはこれを認めることのできる的確な証拠はない(したがって、物的損害としての請求と見ても、損害の証明がない。)ので、右事情を損害額の算定に反映させるという格別の考慮はしていない。

控訴人は、また、口頭弁論終結後不法行為を停止するまでの損害賠償を請求するのであるが、被控訴会社の現在の状況で見る限り本件不法行為が将来にわたり継続されることは予想されないわけではないけれども、それは極めて流動的であって、損害賠償請求権が現在におけると同様に将来においても成立するのか、また成立するとしてその賠償額は幾らであるかをあらかじめ明確に認定することはできないものというべきであるから、口頭弁論終結後に生ずべき損害の賠償を求める訴えは、権利保護の要件を欠く不適法なものというべきである。

すなわち、控訴人の損害賠償請求のうち、昭和五六年六月一日以降転居していた期間を除き平成元年一月二五日の当審口頭弁論終結時までの慰藉料請求については、二〇〇万円及びこれに対するその翌日の同月二六日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当として認容すべきであり、右限度を超える請求は失当として棄却を免れず、また、口頭弁論終結時後の将来の賠償請求は、不適法として却下を免れない。

五  よって、控訴人の被控訴人に対する原判決別紙第三物件目録記載の工作物の稼働、操業の差止めを求める請求を棄却した原判決は不当であるからこれを取り消し、控訴人の右請求を認容し、控訴人の当審で追加した損害賠償請求については、当審口頭弁論終結時までの請求につき二〇〇万円及びこれに対する平成元年一月二六日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の限度でこれを認容し、右限度を超える請求を棄却し、口頭弁論終結時後の損害の賠償を求める訴えはこれを却下し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九二条及び第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用し(操業の差止めについての仮執行宣言は、相当でないと認めるのでこれを付さない。)、主文のように判決する。

(裁判長裁判官 賀集唱 裁判官 安國種彦 清水湛)

〈以下省略〉

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